大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所 平成11年(う)14号 判決 2000年6月29日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官千葉倬男が提出した広島地方検察庁検察官片山博仁作成の控訴趣意書及び検察官千葉倬男作成の控訴趣意書補充書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人足立修一作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決は、検察官の主張する被告人の過失が合理的な疑いをいれない程度に証明されていないとして、被告人に対し無罪を言い渡したが、関係証拠を総合すれば、本件事故は、検察官が主張する被告人の過失によって引き起こされたものであることが優に認定できるから、原判決は、証拠の判断及びその取捨選択を誤って事実を誤認したもので、右の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。(なお、原審又は当審において取調べが請求された証拠については、証拠等関係カード記載の請求番号により、「原審検 号」、「当審弁 号」などと表示する。)

一  原審での公訴事実(以下「旧公訴事実」という。)は、

「被告人は、平成七年七月二二日午前五時三〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、広島市東区戸板中町<番地略>先道路上を中山方面から安芸大橋方面に向け進行するに当たり、前方左右を注視し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方注視を欠いたまま漫然進行した過失により、自車を道路右側部分に進出させ、折から対向進行してきた花田孝幸運転の大型貨物自動車に衝突させ、よって、自車同乗者甲野春子(当二〇年)に加療約四か月間を要する上・下口唇裂傷、歯肉裂傷等の傷害を、同乙川一郎(当二〇年)に加療約四か月間を要する右下腿骨骨折、顔面打撲(多発挫創瘢痕)等の傷害を、同丙山夏子(当二〇年)に加療一年間以上を要する頭蓋骨頭蓋底骨折、硬膜外膿瘍、髄液漏等の傷害をそれぞれ負わせた」、というものである。

二  原判決は、本件事故当時の状況として、検察官の主張する過失の前提となる運転態様、すなわち被告人の脇見ないし居眠り運転の蓋然性が肯定できず、仮に居眠り運転があったとしても、これのみでは事故に至る態様として疑問があり、被告人が居眠りをしておらず、助手席同乗者から運転妨害があったとの被告人の弁解を虚偽として排斥できないから、本件事故をもたらした対向車線進出という不注意な運転が、被告人の前方不注視という注意義務に違反した過失運転そのものであるとの事実関係自体を認定することができず、検察官の主張する被告人の前方不注視、進路の安全不確認との過失に関しては、合理的な疑いをいれない程度に証明されたとはいえない、というのである。

三  原審記録中の関係各証拠により認められる本件事故及び事故現場等の概要は、次のとおりである。

1  被告人運転の普通乗用自動車(以下「被告人車」という。)と花田孝幸運転の大型貨物自動車(以下「花田車」という。)は、旧公訴事実記載の日時に同記載の場所(以下「本件事故現場」という。)で衝突した。

本件事故現場は、最高速度が四〇キロメートル毎時に制限された県道であり、アスファルト舗装された見通しの良い平坦な直線道路であり、車道が黄色のセンターラインにより上下二車線に区分され、追越しのための右側部分はみ出し禁止の区間とされており、中山方面から安芸大橋方面に向かう車線は幅員約2.8メートル、その対向車線は幅員約三メートルであり、各車線の外側に外側線で区分された路側帯が設けられている。

2  本件事故当時、本件事故現場の天候は曇りであり、周囲はまだ薄暗かったが、車両が前照灯を点灯しなくとも走行できる程度には明るくなっていた。花田車は前照灯を下向きに点灯していたが、被告人車は前照灯を点灯せずに走行していた。路面は乾燥していた。

3  衝突の態様は、被告人車が前記中山方面から安芸大橋方面に向かう車線を進行し、花田車がその対向車線を中山方面に向けて進行していたところ、被告人車がセンターラインを越えて、対向車線に進出したため、花田車が急ブレーキを掛けつつ右にハンドルを転把し、対向車線にはみ出して衝突を回避しようとしたが、間に合わず、被告人車の前部と花田車の前部が衝突したというものである。右衝突の結果、被告人車の前部が、花田車の前部下にもぐり込んで大破し、被告人車のボンネットの上部鉄板は、同車のフロントガラスの所まで大きくめくれ上がった。被告人車は、衝突後、花田車に押されて約一六メートル後退し、ようやく停止した。なお、路上に花田車のスリップ痕は付いていたが、被告人車のそれは付いていなかった。

被告人車は、長さ4.59メートル、幅1.69メートル、高さ1.46メートル、車両総重量一五九五キログラムの七人乗り乗用車であり、本件事故当時、運転席に被告人、助手席に乙川一郎(昭和五一年一〇月七日生)、運転席側の後部座席に甲野花子(昭和五一年八月二日生)、助手席側の後部座席に丙山夏子(昭和五一年一一月三日生)が乗車していた。

4  花田は、当時三七歳の運輸会社に勤務するトラック運転手であり、本件事故当日は、九トン積みの大型貨物自動車である花田車に乗車して、午前四時ころ、広島県廿日市市の車庫を出発し、広島市安佐北区で五、六トンの荷物を積み、同市東区中山東に向かっていた。花田は、当時、本件事故現場を毎日定期的に走行していたので、付近の道路状況を良く知っていた。

5  本件事故の結果、乙川、甲野及び丙山は、旧公訴事実記載のとおりの各傷害を負い、被告人も、頭部打撲、意識障害、胸部打撲、肺挫傷、顔面骨骨折、顔面裂創、右大腿骨骨幹部骨折、右上腕骨顆上部骨折等の傷害を負った。

四  本件事故は、前記のとおり、被告人車がセンターラインを越えて対向車線に進出したため発生したものであるところ、被告人車がセンターラインを越えた原因に関して、原判決は、本件事故当時の状況として、被告人の脇見ないし居眠り運転の蓋然性は肯定できず、仮に居眠り運転があったとしても、これのみでは事故に至る態様として疑問があると判断し、他方、検察官は、脇見運転又は居眠り若しくはその前段階の眠気を催した状態での運転の可能性がある旨主張する。そこで、この点について検討する。

1  まず、本件事故前の被告人らの行動をみると、原審記録中の関係各証拠によれば、被告人は、友人である乙川方に同居して、塗装工として稼動していたところ、本件事故当日の平成七年七月二二日午前零時ころ、乙川及び女友達である甲野、丙山と誘い合わせてカラオケボックスに行き、約二時間、飲酒しながら遊興した後、全員で乙川方に行ったこと、乙川方では、乙川、甲野及び丙山は、更に飲酒しながら談笑していたが、被告人は、間もなく寝たこと、眠っていた被告人は、同日午前五時ころ起こされて、甲野と丙山を各自の自宅まで送って行くことになり、乙川を含めた四名が前記乗車位置のとおり被告人車に乗り、被告人の運転により乙川方を出発したこと、乙川、甲野及び丙山は、出発後間もなく眠ったことが認められる。

2  衝突直前における被告人車の走行態様等について

(一)  右の点に関する花田の捜査段階における供述の要旨は、次のとおりである。

(1) 平成七年七月二二日付け警察官調書(原審検五号)の同意部分

私は、ライトを下向きにして時速六〇キロメートル位で進行していた。私が、実況見分調書添付交通事故現場見取図(原審検三号)記載の地点(以下、同見取図記載の各地点については、「地点」などと地点のみを表示する。)を進行中、対向車線の①地点をセンターラインぎりぎりに沿い、少しよろけるように進行して来るワゴンタイプの車が見えた。私は、えらくセンターに寄って走って来る車だなと思って、そのままの速度で進行中、地点に差しかかったとき、ワゴン車が②地点から、急に右に寄って来て、私の走行車線に入って来たので、危険を感じて急ブレーキを掛けたが、私が地点のとき、私の車の前部と相手の車の前部とが地点で衝突した。右のように、私は、蛇行して来る相手車を認めたが、一度、きちんと車線内を走行しているのを見たので、そのまますれ違うだろうと思い、減速しなかった。

(2) 平成八年一〇月二三日付け検察官調書(原審検六号)の同意部分

私は、ライトを下向きにして時速約六〇キロメートルで走っていた。地点で前方の①地点をセンターラインすれすれに走って来る対向車に気が付いた。警察で取調べを受けたとき、相手の車の状況について、よろけるように進行して来ると表現したが、これは寄って来る、つまりセンターラインぎりぎりに寄って走っているということである。私は、それを見て、相手の車の左側には障害物もないのに、何で中央線ぎりぎりに走るんだろうかと思ったが、その直後、私が地点のとき、対向車が②地点付近から突然私の車線に突っ込んで来たので、びっくりして急ブレーキを掛けるとともに、ハンドルを右に切ったが、地点で正面衝突した。①地点から②地点までの間は、中央線ぎりぎりを走っていたものの、対向車線に突っ込んで来るような気配はなかった。もっとも、②地点までの間に、対向車は、中央線から内側、つまり相手の車から見て左側に少し寄って、また中央線ぎりぎりに戻ったような感じがした。ところが、②地点付近で、カクッというような感じで、突然私の車線に突っ込んで来た。相手の車の速度は、私の速度と同じか、やや速かったのではないかと思う。

(二)  花田は、原審第七回公判(平成九年七月八日)において、証人として供述した。その際の証言内容は、自分の衝突直前のハンドル操作に関する記憶はないと述べるものの、被告人車の走行態様に関しては、前記検察官調書の同意部分における供述とほぼ同様のものであった。

(三)  以上の供述、平成七年七月二三日付け実況見分調書(原審検三号)及び前記三の認定事実によれば、被告人車は、衝突地点の南方約52.2メートルにある①地点付近では、センターラインにごく接近して走行車線内を走行していたが、同地点から衝突地点の南方約17.3メートルにある②地点までの約34.9メートルを進行する間に、少し左に寄って一旦センターラインから離れたが、再びセンターラインのごく近くを走行し、②地点付近で一気にセンターラインを越えて対向車線に入ったものであり、その間の速度は毎時六〇キロメートル程度であったと認められる。ところで、原判決は、被告人車の走行態様について、センターラインに沿ってしばらく走り、一旦内側に戻ったが、、直後に急に右向きに対向車線に出たと認定した上、これは、やや不正常な運転状態となっていた運転者が一度は正常に戻り、再び急激に正常な運転走行ができなくなった状態と考えられると説示する。しかしながら、被告人車の①地点付近での走行は、センターラインのごく近くではあっても、自らの走行車線内を走っていたのであるから、この状態のみを取り上げて、運転者が正常でない状況にあったと推認することはできず、また、前記走行態様は、被告人車が全体として左右に蛇行して走行していたとみることもできるのであって、運転者であった被告人が不正常な状態から一度は正常に戻り、再び正常に運転できない状態になったなどと推論するのは相当でない。

3  原判決は、衝突直前の被告人の状態について、直線道路進行中の脇見運転では、このようなハンドル操作は考え難く、一応想定できるのは、時折覚せいするうつらうつらの状態での居眠り運転であるとした上、

(一)  被告人は、起こされてから既に約三〇分は経過しており、この間、本件事故現場まで少なくとも一五分間は無事に運転走行しているし、また、起こされてから三〇分後といえば、段々と覚せいしてくるのが通常であるから、同乗者が全員眠ったために被告人もつられて眠気を催したとは経験則上考え難い。

(二)  居眠り状態は、身体の筋肉が弛緩して脱力し、運転している場合はハンドルを把持する握力が次第に減弱すると考えられるから、その形態でハンドルが急に右に切られ、車体が右向き走行するというのは何とも不可思議で、別の現象がない限りあり得ない。

(三)  さらに、その後、被告人が左ハンドルを切っていることも、非常事態に対する反応行動を敏速にしているとの点で、居眠り運転の可能性は、一段と希薄となる。

旨説示する。

4  そこで、原判決の前記説示について検討する。

(一)  原判決は、被告人が、本件事故現場まで少なくとも一五分間は無事に運転走行していること、起こされてから三〇分後といえば、段々と覚せいしてくるのが通常であることを、本件で居眠り運転を想定し難い根拠の一つとして挙げるが、自動車運転者が、睡眠不足の状態にある場合には、運転開始からしばらくして眠気を催すことがあることは容易に想定できるのであり、起こされてから三〇分後であっても、例外ではなく、しかも、被告人は、飲酒後、乙川方でせいぜい三時間程度しか睡眠をとっていないのであるから、運転中に強い眠気に襲われることは十分考えられるのであり、原判決が挙げる前記3の(一)の根拠も、また、それに基づく被告人が眠気を催したとは経験則上考え難いとの判断も、到底支持することができない。

(二)  原判決は、衝突前における被告人車のハンドル操作について言及しているので、この点について検討する。

(1) 被告人車が②地点付近でセンターラインを越えた際の被告人のハンドル操作について、原判決は、ハンドルが急に右に切られたと認定し、このような事態は、ハンドルを把持する握力が減弱した状態では別の現象がない限りあり得ないと判断する。しかしながら、原審記録中の整備マニュアル抜粋の写し(原審弁一六号)によれば、被告人車のハンドルには、パワー・ステアリングが装着されていることが認められるので、走行中にハンドルを回転させるのに大きな力は要しないと考えられるのであり、ハンドルを把持する握力が減弱していたとしても、原判決のように断定することが合理的とは思えない。また、②地点付近での転把角度については、原審記録中の実況見分調書(原審検三号)によっても、大きな角度での転把がなされなくても本件事故が起こり得ることが推認されるのであるが、さらに、当審での事実取調べの結果によれば、広島県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員の横山忠尚は、本件事故に関して、被告人車と同型車種の車両を使用した走行実験を行い、実験車両は、②地点に相当する地点からハンドルを右に三〇度ないし四〇度転把することによって、地点に相当する地点に到達することが可能との結果を得られたこと、前記走行実験では、実験車両は、実験中の事故を防止するため、時速約五〇キロメートルで走行したが、仮に実験車両が時速約六〇キロメートルで走行した場合であっても、②時点から地点までの到達時間が短くなるのみで、ハンドルの転把角度については、前記と同様の結果が得られることが認められる。なお、前記走行実験では、②地点から×地点までの距離を約15.2メートルとして実験がなされており、これは、両地点の距離を17.3メートルとする実況見分調書(原審検三号)の記載と食い違うが、その原因は、実況見分調書では、被告人車の中央付近が②地点とされていた(なお、右中央付近から被告人車の先端までの距離は二メートル余りである。)のに、同実験では、被告人車の先端を②地点としたからであるところ、右の程度の距離の食い違いは、ハンドルの転把角度についての実験結果を大きく左右するものではないと考えられる。

したがって、②地点付近での被告人車の右転把は、それほど大きな力も大きなハンドル操作も要しない程度のものであったと推認できるから、②地点付近で、居眠り又はその前段階の眠気を催した状態等での不用意なハンドル操作がなされた結果、本件事故が引き起こされたと考えることは十分可能である。そうしてみると、原判決が、ハンドルが急に右に切られ、車体が右向き走行するというのは、居眠り状態とは別の現象がない限りあり得ないと判断した点も、支持することができない。

(2) 次に、被告人車が対向車線に進出した後、衝突の直前に何らかのハンドル操作がなされたかについて検討するに、関係証拠によれば、被告人車のハンドルは、衝突の直後、上下がほぼ逆になるまで大きく回転した状態にあったことが認められるところ、髙尾寿道作成の各意見書(原審弁一〇号、一一号)は、本件事故後に撮影された被告人車の写真などから判断すると、被告人車は、衝突直前、左に急転把したため、重心が右前輪に集中し、最初に右前部を花田車に対し鈍角に、のめり込むように衝突したものであり、ハンドルの転把角度は、左に一五六度(ただし、プラスマイナス五度の誤差がある。)であるとし、また、横山忠尚作成の鑑定結果書(追補、当審検六号)は、被告人車は、衝突時には、左転把して自車線に戻る姿勢であったと考えるのが自然であるとしている。これらを総合すれば、被告人車のハンドルは、衝突の直前に左転把されたと認めるのが相当である。原判決は、このことから、被告人が、衝突直前に、非常事態に対する反応行動を敏速にしているとの点で、居眠り運転の可能性が一段と希薄となると説示するのであるが、このようなハンドル操作がなされた状況としては、被告人が、②地点付近で右転把した自らの体の動きや、花田車の前照灯の光などによって、居眠り又は眠気を催した状態から覚せいし、とっさに衝突を回避しようとしたと考えることも十分可能であるから、原判決の前記説示も首肯することができない。

(三)  以上の(一)及び(二)の検討結果によれば、被告人車がセンターラインを越えて対向車線に進出した原因としては、居眠り又はその前段階の眠気を催した状態での運転によると考えることが十分可能であるから、原判決が時折覚せいするうつらうつらの状態での居眠り運転の蓋然性を否定したのは支持できない。

五  被告人は、本件事故の原因として、助手席の乙川にハンドルの左下部分を強く蹴られたため、被告人車が対向車線にはみ出したと供述するので、この供述の信用性について検討する。

1  事故原因等に関する被告人の供述

(一)  まず、捜査段階における供述をみると、本件事故から約五か月後の平成七年一二月二六日付け警察官調書(原審検二二号)には、本件事故のことについては、今もって全く覚えがない、この事故の後、約一か月間意識不明の状態が続き、気が付いたら病院のベッドだった、との記載があり、本件事故から一年三か月余り後の平成八年一一月一一日付け検察官調書(原審検二三号)には、事故の影響で、事故時の状況はもちろん、前夜のことも覚えていない、との記載がある。

なお、右各調書には、自分が脇見か居眠りをしていたため、本件事故を起こしたものと思う旨の供述部分があるが、これは、捜査官から聞いた事柄を基に推測を述べたものに過ぎないから、事故原因の認定について証拠価値がないことは明らかである。

(二)  次に、公判供述をみると、被告人は、本件事故から約一年五か月後の原審第一回公判(平成八年一二月二〇日)において、被告事件に対し、助手席に乗車していた乙川が、足でハンドルを蹴ったため、ハンドル操作を邪魔されて、本件事故が発生した旨陳述し、その後の公判期日においても、次のように供述する。

(1) 原審第二回公判(平成九年一月二八日)

本件事故の前日、どういう状況で四人になったのか覚えていない。検察官から最後に取調べを受けた際、対向車線に出る前は「自分の車線のやけに左を走っていた」と聞いたので、なぜそういう運転をしたのか何日も考えて、事故直前から事故をするまでの状況を思い出した。助手席の乙川が右足でハンドルをつつき、ハンドルが右に回転したので、自分は、反対に左に切らないと危ないと思って、ハンドルを左に切ったため、車は蛇行した。左に寄っていれば、ハンドルをちょっと蹴られても、自分の車線から出ることがない程度で抑えられると思って、左寄りを走った。その後、乙川がハンドルをつつくのをやめたので、安心していたところ、突然、ハンドルのT字の左下の部分を強く蹴り上げられて、対向車線に出た。

(2) 原審第三回公判(同年二月一四日)

左寄りに走行していた距離は、正確には覚えていないが、しばらく左側を走っていたことは、思い出した事柄である。

(3) 原審第四回公判(同年三月七日)

助手席の座席は、倒せるいっぱいに近いくらい倒されていた。乙川は、助手席に背中を付けて寝ている状態だった。乙川は、右足で主にハンドルを切ってきて、左足は、補助的に、またさらに切ってくる形だった。乙川は、眠ってはいなかった。足でつつかれたとき、乙川に対し、「やめえ、危ないじゃないか」というふうに言った。

(4) 原審第一四回公判(平成一〇年一月二七日)

本件事故の前日のことは、会社から家に帰る途中から記憶がない。本件事故の前、乙川らとカラオケに行ったことや、早朝、乙川方を出発したことは記憶にない。本件事故に関しては、乙川にハンドルを蹴られだしたときからのことを覚えている。乙川は、ハンドルの左横を蹴ってきたので、左側に切り返したが、乙川は、両足で蹴ってきたり、ハンドルのT字型になっている部分の左下をかかとでやってきたりした。

(5) 原審第一五回公判(同年二月一三日)

ハンドルを乙川に蹴られる前は、車線の真ん中辺りを走っていたが、乙川に蹴られて右の方に行ってしまった。

2  被告人の前記供述において特徴的なものは、捜査段階では、本件事故に関する記憶は全くないと述べていたのに、原審での公判供述では、事故直前の状況を思い出したと述べていること、また、被告人が思い出したとする記憶の内容は、乙川にハンドルを蹴られたことを中心とするわずかな範囲に限定されていることである。この点につき、原判決は、医学的に外傷性健忘としてあり得ない症状ではなく、虚言であると断定できないと判断しているところ、検察官は、本件事故から約一年五か月もたってから、事故直前にハンドルを蹴られ始めてから事故までの記憶のみが突然回復するという記憶の回復過程は、医学的見地からみても、極めて不自然であると主張する。関係各証拠によれば、頭部に外傷を負った者は、その時点からさかのぼって過去のある時点までの記憶が喪失し(逆行性健忘)、その後、次第に記憶が回復することがあるとされていること、本件事故により、被告人は、頭部打撲、顔面骨骨折などの傷害を負ったところ、右顔面骨骨折には上下顎骨及び鼻骨の粉砕骨折が含まれること、本件事故直後に緊急入院した時点での被告人の意識レベルは、痛み刺激を加えつつ呼び掛けを繰り返すと、かろうじて開眼するという程度(JCSⅢ三〇)、又は、刺激を受けても覚せいせず、痛み刺激を払いのける動作をする程度(同Ⅲ一〇〇)であったことが認められるのであり、これに被告人が捜査段階では、本件事故の状況を全く覚えていないと供述していたことを併せ考えると、被告人は、本件事故の際、顔面等を強打したことにより、それ以前の記憶について逆行性健忘を生じたものとみられる。しかして、関係各証拠によれば、医学上、逆行性健忘からの記憶の回復過程は、最も古い出来事がまず最初に回復して、古い年次順に回復していくのが通常であるとされていることが認められるところ、被告人は、乙川にハンドルを蹴られたことは思い出したが、それ以前の乙川方を出発したときの状況や、四人でカラオケ店に行ったことは記憶にないと述べているのであるから、被告人が述べる記憶回復過程や回復されたという記憶の範囲は、逆行性健忘からの記憶回復として不自然との感をぬぐえない。この点に関する原判決の説示は、必ずしも分明ではないけれども、右不自然性についてはこれを否定する趣旨であると解するほかなく、失当である。

3  次に、被告人の前記公判供述の内容について検討する。

(一)  被告人は、乙川から最初にハンドルをつつかれた際、危ないと思ってハンドルを左に切ったため、車が蛇行したと供述するところ、車の蛇行の点は、花田の供述のうち、被告人車が①地点から②地点までの間に、センターライン近くから一旦車線の内側に寄り、その後再びセンターラインぎりぎりに戻った、つまり被告人車が蛇行したとの供述と符号する。

しかし、被告人は、前記蛇行の後、またハンドルを蹴られても走行車線内から出ないように左寄りを走り、その後、乙川がハンドルをつつくのをやめたので、安心していたところ、突然ハンドルを強く蹴り上げられて対向車線に出たと供述し、また、別の公判期日には、ハンドルを乙川に蹴られる前は、車線の真ん中辺りを走っていたが、乙川に蹴られて右の方に行ってしまったと供述する。右両供述は、相矛盾していて、それ自体供述の信用性を減殺させるのであるが、さらに、右両供述によれば、被告人車は、対向車線にはみ出す直前には、走行車線内の左寄り又は中央付近を走っていたことになるが、花田は、②地点からセンターラインを越える直前の被告人車の走行位置は、センターラインぎりぎりであったというのであり、この点に関する被告人と花田の供述内容は明らかに相反する。そして、花田は、既にみたとおり、本件事故の直後から、前記供述を一貫しているのであり、その供述は十分信用できるものであるから、これに反する被告人の前記供述の信用性には疑問を持たざるを得ない。

(二)  被告人は、乙川がハンドルを蹴った際の同人の姿勢について、助手席のシートを倒せるいっぱいに近いくらい倒していたと供述する。しかし、被告人車の後部座席には、運転席の後ろに甲野が、助手席の後ろに丙山がそれぞれ乗車していたのであり、関係各証拠によれば、被告人車の助手席のシートを大きく後ろに倒した場合には、助手席後ろに乗車した者は、極めて窮屈な姿勢を余儀なくされることが認められるところ、丙山は、乙川と同年齢の女性であり、しかも、本件事故当時、被告人と乙川は、甲野と丙山を各自の自宅まで送って行く途中だったのであるから、乙川が、丙山に窮屈な姿勢をさせてまでシートを倒したとは考え難い。しかして、原審公判廷において、丙山は、当時の姿勢について、窓ガラスに頭をつけ、ドアにもたれるようにしていたと供述し、乙川は、助手席のシートを後ろに倒していたと供述していること、関係各証拠によれば、本件事故によって、丙山は、顔面が前額部から鼻部にかけて水平に窪んだ状態になるまでの顔面骨骨折の傷害を負ったものであり、これは、衝突の際、同人が、助手席のシート上部のヘッドレストに顔面をほぼ水平に強打したことを原因とするものと認められることに照らすと、乙川は、衝突の際、助手席のシートを丙山が窮屈にならない程度に、助手席シート上部のヘッドレストが丙山の顔面の高さになる程度まで斜めに倒していたものと推認するのが相当である。そうしてみると、被告人の前記供述の信用性には疑問があるといわざるを得ない。

(三)  被告人は、助手席の乙川が眠っていたのではなく起きていたことを前提にして、乙川がハンドルを足でつついた際の状況について、乙川は、右足で主にハンドルを蹴り、補助的に左足でも蹴った(原審第四回公判)、乙川は、ハンドルを両足で蹴ったこともある(原審第一四回公判)と供述する。しかし、関係証拠によれば、助手席の乙川が眠っていたのではなく起きていたという事実は認め難く、他方、乙川の身長は約1.75メートルであるところ、助手席のシートをそれほど大きく倒さない状態で、助手席から運転席前方のハンドルを右足で蹴るのは、姿勢が窮屈であって、容易には行えないものと認められ、ハンドルを左足又は両足で蹴ることは一層困難というべきである。したがって、この点でも、被告人の前記供述には、疑問を持たざるを得ない。

4  乙川の供述について検討する。

(一)  乙川は、原審第五回公判(平成九年四月八日)で証人として尋問を受けた際、本件事故の状況等に関して、次のような証言をした。すなわち、本件事故前、被告人車で自宅を出発して五分後くらいに、眠くなったので助手席で眠った。その姿勢は、助手席のシートを後ろに倒し、靴を脱いで、両足を開いて助手席前のダッシュボードの上に乗せた。シートをどの程度倒したかは覚えていない。自分は、助手席で眠るときには、そのような姿勢をとる癖がある。これまでにも、よくやっていたから、多分そうやと思うけど、そのときはがんがん飲んどるわけやから、覚えてないから、はっきりこうやったとは言えんけど、取りあえず、多分そんな感じじゃろうとは思う。眠っていたから、事故自体は全然知らない。その後に気が付いたのは病院の集中治療室のベッドの上だった。ハンドルを足でつついたことは絶対にない。被告人は、本件事故の後、一回だけ見舞いに来たが、被告人が謝らないし、ごめんという言葉がなかったから、自分は腹が立った。シートベルトはしていなかった。以上のような証言をしている。

(二)  乙川は、事故自体は知らない、気が付いたのは病院のベッドの上だったと証言するので、本件事故により入院した当初における病院内での乙川の動静等をみると、乙川の入院診療録が添付された捜査関係事項照会回答書(当審検五号)によれば、次の事実が認められる。すなわち、乙川は、平成七年七月二二日午前六時二二分ころ、広島市立安佐市民病院に救急車で搬送され、集中治療室に入ったこと、その際、乙川には、普通の呼び掛けで容易に開眼する程度の意識障害とアルコール臭があり、「痛い、うるさい、どけ」などと叫んでいたこと、意識レベルは、翌日には改善傾向にあり、以後、順調に回復したこと、看護記録等には、乙川がしきりに体の痛みを訴えたことなどが記載されているほか、看護婦らが観察した乙川の言動等として、同月二二日の欄には、「一九時三〇分ころより、覚せいし、はっきりと話す。乱暴な口のきき方であるが、質問には正答できている。事故については、ほとんど記憶はない様子。」との観察結果が、同月二三日の欄には、「腹がすいた。おごってあげるから、飯食いに行こう。えっ、事故したん。寝とったから知らん。二人で一升くらい酒飲んだよ。」との発言が、同月二五日の欄には、「いつになったら手術してくれるんか。せんのだったら、家に帰る。」などの発言が、同月三〇日ころの欄には、「自分と一緒に事故した友達は元気になっただろうか。」などの発言がそれぞれ記載されていること、以上の事実が認められるところ、これらは、本件事故当時は眠っていたので、事故自体は知らない、気が付いたのは病院の集中治療室のベッドの上だったとの乙川の証言と符号する。

(三)  原判決は、乙川の前記証言について、

(1) 乙川の証言態度は通常の証人としての真摯性をいささか欠いており、被告人や弁護人を脅迫するなどはなはだ不穏当な態度であった。しかも、乙川は、被告人と同居するほど親しい間柄であったというのに、本件事故後、被告人が本件弁解を主張するよりかなり前の段階で、被告人が謝罪しないとして脅迫的な言動に及んでいる(以下「原判決の説示(1)」という。)。

(2) また、乙川は、被告人や丙山よりは軽傷であったにもかかわらず、本人作成の被害上申書なるものがある程度で、捜査機関による供述調書が全く作成されていないなど、事故後の捜査に非協力的な態度であったこともうかがえる(以下「原判決の説示(2)」という。)。

と説示して、ハンドルを蹴っていないとする乙川の証言の信用性に疑問を呈し、さらに、

(3) 乙川は、走行中、助手席シート(背もたれ)を倒して寝た、足は両足ともダッシュボードの上に上げたと証言し、被告人の言う妨害行為の一歩手前の態様までは認めている(以下「原判決の説示(3)」という。)。

(4) また、乙川に全く悪意なく、寝ぼけ症状として右足をハンドルに落下させるか当てたという状況も一回は当然想定しうる現象である(以下「原判決の説示(4)」という。)。

ことを指摘している。

(四)  そこで、前記検討結果を踏まえて、乙川の前記証言の信用性を更に検討する。

(1) 原判決の説示(1)については、関係証拠によれば、乙川の証言態度が、証人としての真摯性を欠く不穏当なものであったこと、乙川が、被告人に対して脅迫的な言動を行ったことがあることなど、原判決が指摘する事実が認められる。しかしながら、被告人車の助手席で眠っている間に被告人が起こした交通事故で加療約四か月間を要する右下腿骨骨折、顔面打撲(多発挫創瘢痕)等の傷害を負わされたという意識の乙川が、謝罪もしない被告人の態度に立腹したということは理解できるのであり、しかも、乙川からすれば、被告人は、乙川が助手席で眠っていたのではなく起きていたことを前提として、その乙川にハンドルを蹴られたために本件事故が発生したという虚偽の主張をして、事故の責任を乙川に押し付けようとしていることになるから、被害者感情を募らせた乙川が、被告人に対して非常な悪感情を抱き、この感情が当該公判廷に出頭していた被告人や、その弁護人等に向けられたとみることもできる。確かに、このような理解に立ったとしても、乙川の前記証言態度の不穏当さは度を超したものであるが、乙川の入院中の前記言動に照らすと、乙川は、本来、場所がらや状況をわきまえない言動を行う性癖を有していることがうかがえるのであり、この性癖が、訴訟関係者による関連性の乏しい事実に関する尋問や重複尋問などと相まって、前記証言態度につながったものと推認される。そうしてみると、乙川の証言態度が、その証言内容の虚偽性につながるとはいえない。

(2) 原判決の説示(2)については、関係証拠によれば、捜査段階において、乙川の供述調書が全く作成されていないことが認められるが、供述調書が作成されていない事情は、明らかでないのであって、これをもって乙川の証言の信用性を減弱させるものとするのは相当でない。

(3) 原判決の説示(3)については、乙川の証言中には、本件事故前に原判決が指摘するような姿勢をとっていたとの証言部分があるが、このような姿勢が助手席で眠るときの同人の癖であり、被告人も別の機会に乙川の同様な姿勢を見たことがあるというのであるから、ダッシュボードの上に両足を上げていたこととハンドルを蹴ることとは全く別の問題というべきであり、これをもって信用性判断の根拠とすることは相当でない。

(4) 原判決の説示(4)については、被告人は、助手席の乙川が眠ることなく起きていて意識的にハンドルを蹴った旨述べているのであり、乙川が寝ぼけて右足をハンドルに当てたなどの供述は何ら存しない。そして、前記3の(二)及び(三)の後方へ倒した助手席シートの傾斜の程度や乙川の姿勢に照らすと、原判決の説示(4)は首肯することができない。

5  原判決も指摘するように、走行中の車内において、同乗者が運転妨害をすることは無理心中まがいの出来事であり、にわかに信じ難いことであるが、この点を置いても、ここまで検討したところを総合すれば、被告人が逆行性健忘から記憶を回復したという過程等が不自然である上、被告人の供述には、変遷による矛盾のほか、不自然な部分や花田の供述調書などの他の証拠から認められる事実と整合しない部分が多々見受けられるのであり、他方、乙川の証言の信用性は十分首肯できるから、眠っておらず起きていた助手席の乙川にハンドルの左下部分を強く蹴られたため、被告人車が対向車線にはみ出したとする被告人の供述は、到底信用できない。

原判決は、被告人の右弁解は、虚言とするにはちゅうちょがあり、その信用性を全く否定して排斥することはできないと説示しているが、被告人の右弁解は、事件後知り得た様々な事実をつなぎ合わせて構成した想像的事実を、記憶による事実と思い込んで供述した疑いが強いというべきであり、原判決の右説示は支持できない。

六  以上の次第で、本件事故は、被告人の運転中に、被告人車が対向車線にはみ出して発生したものであるところ、その原因に関する被告人の前記供述は信用できず、関係各証拠によれば、被告人車が②地点付近でセンターラインを越え、対向車線にはみ出した際、被告人は、居眠り又はその前段階の眠気を催した状態で運転していたと考えることが十分可能であるから、被告人の居眠り運転の蓋然性が肯定できず、仮に居眠り運転があったとしても、これのみでは事故に至る態様として疑問があり、被告人が居眠りをしておらず、助手席同乗者から運転妨害があったとの被告人の弁解を虚偽として排斥できないとした原判決には、事実の誤認があるというべきである。

しかしながら、右事実の誤認が、判決に影響を及ぼすことが明らかであるか否かについて検討すると、原審における審判の対象であった旧公訴事実は、前記のとおり、被告人が「前方左右を注視し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方注視を欠いたまま漫然進行した過失により、自車を道路右側部分に進出させ」たというものであるところ、本件事故現場は、アスファルト舗装された平坦な直線道路であり、本件事故当時、路面は乾燥し、また、路面又は被告人車に何らかの異常があったことをうかがわせる証拠は何ら存しないから、被告人は、右直線道路を進行していた当時、前方注視を欠いていたとしても、ハンドルを右方向に回転させることなく握持していれば、被告人車が対向車線にはみ出すことはなく、本件事故の発生はなかったと考えられるのであり、旧公訴事実が掲げる過失と本件事故の発生との間には因果関係がないというべきである(なお、検察官は、当審での弁論において、訴因を交換的に変更した理由に関し、旧公訴事実では、直近過失として前方注視義務違反をとらえて公訴事実を構成したが、本件事故現場の道路状況が直線道路であることから、被告人の前方注視義務違反のみに基づいて被告人車の対向車線への進出を合理的に説明するには不十分であることにかんがみ、訴因を変更したとする。)。したがって、被告人を無罪とした原判決は、旧公訴事実を前提とする限り正当であって、事実の誤認は、判決に影響を及ぼさない。

論旨は理由がない。

七  次に、職権によって判断する。

前記認定のとおり、本件事故現場の道路状況等からすると、これを進行する自動車運転者には、黄色のセンターラインを含む進路前方を注視し、自車が対向車線にはみ出さないようハンドルを握持して、自車の進路である道路左側部分を進行すべき業務上の注意義務があるところ、被告人には、右注意義務に違反してハンドルを右方向に転把し、対向車線内に自車をはみ出させて進行した過失があり、その結果、本件事故が発生したというべきところ、原審記録からも、以上の事実を優に認定することができる。

しかして、本件は、三名の被害者に対して、いずれも重傷を負わせた業務上過失傷害の事案であって、相当重大な罪に該当するものであるところ、原審においても、検察官が、旧公訴事実を被告人の過失を適切にとらえた訴因に変更すれば、被告人が有罪となるべきことが明らかであったと考えられるから、原裁判所は、検察官に対し、訴因変更を促し又はこれを命ずる義務があり、これをすることなく、直ちに無罪の判決をしたことには、審理不尽の違法があるものというべきであり、右訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。原判決は、この点において破棄を免れない。

よって、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄することとし、当審において交換的に変更された訴因に基づき、同法四〇〇条ただし書に従って、更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、平成七年七月二二日午前五時三〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、広島市東区戸坂中町<番地略>先の直線道路上を中山方面から安芸大橋方面に向かい時速約六〇キロメートルで進行するに当たり、進路前方を注視し、ハンドルを厳格に握持して、自車の進路である道路左側部分を進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方を注視せず、ハンドルを右方向に転把して進行した過失により、自車を対向車線に進出させ、折から対向進行してきた花田孝幸運転の大型貨物自動車に衝突させ、よって、自車同乗者甲野花子(当時一八歳)に加療約四か月間を要する上・下口唇裂傷、歯肉裂傷等の傷害を、同乙川一郎(当時一八歳)に加療約四か月間を要する右下腿骨骨折、顔面打撲(多発挫創瘢痕)等の傷害を、同丙山夏子(当時一八歳)に加療一年間以上を要する頭蓋骨頭蓋底骨折、硬膜外膿瘍、髄液漏等の傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(量刑の理由)

本件は、被告人が普通乗用自動車を運転中、対向車との衝突事故を起こして、同乗者三名を負傷させたという業務上過失傷害の事案であるところ、前方不注視の上、ハンドルを右方向に回転させて進行した過失により、現場が直線道路であるにもかかわらず、自車を対向車線に進出させたのであるから、被告人の過失の程度は大きく、また、被害者らの傷害の程度は重く、殊に丙山夏子の傷害は、加療一年間以上を要する重傷であって、受傷直後には、生命を失う危険もあったほどである。ところが、被告人は、助手席の乙川にハンドルを蹴られたなどと主張して、自らの責任を認めようとしないばかりか、丙山に対しても、十分な謝罪を行っていないため、同人は、原審公判廷において、被告人の処罰について、厳重処罰を求めたい意向のあることを示している。

右の事情に照らすと、被告人の刑事責任を軽視することはできないが、他方、被害者らは、いわゆる好意同乗者であったこと、被告人は、いまだ若年で、これまで前科がないこと、被告人自身も本件事故により重傷を負って、長期間の入院を余儀なくされたことなど被告人に有利に斟酌すべき事情もあるので、今回は、被告人に社会内で自力更生する機会を与えるのが相当であると思料し、刑の執行を猶予することとした。

よって、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例